日々徒然なるままに駄目っぷりと愚痴と愛しさの垂れ流し。 呟き手はkt-blue。なんかの病気。躁鬱腐女子らしいよ。咲かない桜に憧れをこめて。


by ktblue-black
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ざしきもち

いますっげえくしゃみでた


モチーフ分析

《座敷童子》
 一般に座敷童子といえば、豪家や旧家の奥座敷に棲み、その家を繁盛させる、または目撃できれば幸運が舞い込むとされる妖怪である。これは、柳田國男の「遠野物語」などにより知られる。
 また、由来の一説として、間引かれた子どもの霊が座敷童子に転じたとする説もある。→「モノノ怪・座敷童子」では、その描かれ方から、後者の意味が強いように思われる。

座敷童子(黄色のものを除く)
紫の瞳・青白い唇・暗緑や青紫などおどろおどろしいからだの色・太極図風の前掛け
血の気の通わない、おどろおどろしいイメージを持つ。
 本体(真の姿)は赤い帯の絡み合った球体様の化け物

黄色の童子
黒い瞳・暖色の唇・くすんだ黄色いからだの色・太極図風の前掛け・赤い帯
座敷童子たちと異なり、全体に明るい生命力のイメージを持つ。
…生まれる可能性(生命力)を持った赤子・志乃に宿っている子供(体色・繫がる帯から)

<太極図風の前掛け>
白黒の勾玉を組み合わせたような意匠となっており、中国ではこれを魚の形に見立て、陰陽魚と呼んでいる。黒色は陰を表し右側で下降する気を意味し、白色は陽を表し左側で上昇する気を意味する。魚尾から魚頭に向かって領域が広がっていくのは、それぞれの気が生まれ、徐々に盛んになっていく様子を表す。
…まだ生まれる前の混沌とした状態の象徴・生死のあわい

また、太極図に組み込まれた勾玉の形は、妊娠初期の胎児を思わせる。黒白の二色により、生徒氏とが常にとなり合わさっている胎児の不安定さ・危うさも表している。

《ダルマ・こけし》
「ダルマ(達磨)」…達磨大師の坐禅した姿に模した張子の玩具。普通、顔面以外の部分を赤く塗り、底を重くして、倒してもすぐ真っ直ぐに立つように作る。開運の縁起物とし、願いごとが叶った時に目玉を描き入れる習わしがある。

「こけし」…こけし=子消し、と漢字を当て、間引かれた子どもや水子の霊を慰めるためにこけしをまつったという俗説がある。

 作中におけるダルマは時折倒れている描写があるが、すぐに真っ直ぐに立ち上がっているとは一概には言えず、一般的なものとは異なると考えられる。色に関しても一定ではなく、場面ごとにころころ変わったりしている。
また作中のダルマは一般的な形とは異なり、「こけし」にも似ている。作中におけるダルマは、「ダルマ」と呼ばれながらもこけし的な意味も含まれた存在なのではないだろうか。

 女将の言葉より
「どうしてそこにそれがあるんだい!?」
「壁一面、ややの墓場なのさ」
 赤子の死体や骨が壁のひきだしに入っていたのではなく、供養として亡骸の代わりにダルマを置いていたとも考えられないだろうか。

またダルマは魂の「器」として考えることができる。
堕胎部屋の水の中に沈むたくさんのダルマ・炉のなかのダルマの山=堕ろされた赤子の亡骸
「繋ぎとめられた水子の霊」→器=ダルマがこの部屋にあったため、魂=座敷童子がこの部屋周辺にのみ現れる一因とも考えられる。

黄色い童子が志乃に「(ダルマを)かえして!」と詰め寄る→後述


《お守りの人形(さるぼぼ)》
志乃がつけているお守りは「さるぼぼ」に酷似していることから、ここでは「さるぼぼ」として考える。
「さるぼぼ」…飛騨地方で作られる郷土人形。「ぼぼ」とは、飛騨地方の方言で赤ん坊のことで、猿の子どもに似ていることからこの名前がついた。子どもが生まれるとお守りとして与えられる風習がある。安産・厄除けのお守りとされることもある。
 
安産守りかつ子どもに与えるお守りということから、産まれてくる赤ん坊を象徴すると言えるのではないか。

 ※器(ダルマ)+魂(座敷童子<前掛けをかけた子供>)=赤ん坊(お守りの人形)

さるぼぼ=赤子を守る役割=志乃(母体)を守る役割
 志乃が宿に入る前に落とす→お守りが無くなる=子に危機が迫る。(赤子として産まれられない=座敷童子となる可能性の暗示)
ダルマと童子という形で出現する子供→座敷童子に引っ張られ分離した?

 決着がついたあと、志乃のもとに人形がある→危機は去り、お腹の子も無事に赤ん坊として存在。




《赤い帯》
 赤い帯は、座敷童子の前掛けの下(腹)・ダルマの下から伸びて、親(母)となる人間へ繫がっている。
志乃の場合もそれは着物の裾(股)・身体の下から覗いており、黄色い童子と繫がっている。
 これは、母の股から生まれ出る赤ん坊のへその緒を想起させる。 

一組の男女が布団に入っているところから、赤い帯がダルマへ伸び、帯がダルマに到達するとダルマ(器)は座敷童子の形になり、言葉を話すようになる…受精・生命の発生

座敷童子たちを生み落とすと宣言した志乃には黄色いダルマへの帯しか繫がっていない。
他のダルマは志乃の近くへ寄ってきてはいるものの、その帯の先は画面外へ伸びている
…他の母親から生まれること、もしくはこの世の外へと繫がる道筋

薬売りが座敷童子を切る際に、帯がずたずたに引き裂かれている
 …座敷童子たちが「現世」に子供として生まれる・繫がる可能性を断った
赤い帯が球状に絡み合った化け物という座敷童子の真の姿は、繫がる先もなく出口も断たれたまま、堕胎の間(女郎屋)という屋敷の胎内で、行き場をなくした水子たちのこじれた行く先ゴメン巧いこと言えねえ
→赤い帯=へその緒であり、絆であり、しるべ(生まれるための道筋・繋ぐもの)である帯

ゆえに、赤い帯を切ること=ややこを殺すこと
帯(へその緒)を女将が引っ張ったり引き裂いたりしながら、ダルマと引き離す場面。
ここで、帯を引っ張る女将の手は真っ赤に染まっており、臓器(へその緒・胎児)を引きずり出しているように見える。帯を引き裂くことでダルマ(子供)の未来の可能性を奪う様にみえる。
=これは女将が以前に遊郭の女たちを堕胎させていたことの暗喩である。


《菖蒲(アヤメ)屏風》
アヤメ
「良き便り」「うれしい便り」「吉報」「愛」「あなたを大切にします」「私は燃えている」「消息」
…など良いイメージの花言葉が多い。「良き便り」「うれしい便り」「吉報」は妊娠の吉報とも捉えることができるだろう。

菖蒲(ショウブ)には病・魔よけの効果があると信じられた…端午の節句
蛇や妖怪に見込まれた危難に際し,菖蒲を燃やしたり菖蒲田に逃げ込んで助かったという伝承が各地にあり,また,菖蒲湯に入るいわれとして昔話「蛇聟入り」の苧環型の話を伝えている所が多い。これらから菖蒲・蓬の強い臭気で悪霊を防御しようという考えがあった。

菖蒲の屏風…白黒
→喪の色・凶事の黒 
妊娠の吉報も女郎屋においては(悪い知らせ=仕事ができなくなる)でしかない。白黒の反転した墨絵→菖蒲の孕んでいる生命力・魔よけ等の意味が反転し、死のイメージに繫がっていく

緑の童子と志乃のシーン(童子の背景が菖蒲)・女将の背景に多く見られる。


《子犬の絵》
犬は多産でありながらお産が極めて軽いということから、昔から安産の象徴とされてきた。(これにあやかって戌の日に安産を願い犬張子や帯祝いの習慣が始まるようになる。帯祝いとは妊娠五ヶ月目の頃の戌の日に、お腹に腹帯を巻いて妊娠を祝い、安産を祈る習わしのこと。)
  →始末部屋に描かれている子犬の絵はそのまま「安産」の象徴であり、生まれなかった同時たちの供養へとつながる。



《悲母観音の絵》
悲母観音とは慈父に対する悲母の愛を表した観音で、この世に生を受けた子どもの健やかな成長を願い、あるいは受けるべき身でありながら、はかなく生命をたった幼子や水子の魂を救ってくれる観音。中国で生まれた観音で、後に日本でも受け入れられたもの。(目地前期の日本画家、狩野芳崖の「悲母観音」の絵が有名である。)

「隠れても無駄だよ」女将の背後に映る壁画の手…冥土へと赤子を持ち去る「奪う母」の暗喩
→生みたくても生めない…うまないでやることが赤子の幸せ

「私が生みます」志乃の背後に映る壁画(バストアップ)…「慈しみ救おうとする母」の暗喩
 →生めるかどうかでなく生みたい…とにかくうんでやることが赤子の幸せ
→本作でも「安産」や「子どもの健やかな成長を願うこと」の象徴であり、同時に死産した子どもに対する「供養」の意味を持つと考えられる。







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まだいじるらしいから

もう むりひ
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by ktblue-black | 2009-01-06 06:43 | 思考の迷走