いつまでもひとつにはなれなくて
2006年 04月 06日
(注意:カップリング考察です)
忍足と跡部は、どこまでいっても幸せにはなれない、とおもっています。
ふたりとも、お互いのことをすごく似ていて、とても近い存在だと感じています。周りもきっとぼんやりとですがそんな認識をしていると思います。
お互いに干渉しすぎず、べたべたくっつくことも嫌いそう。
頭の回転の速度だとかは、これまで周りにいなかったレベルで近いんでしょう。
色々近いけれど、でも決して同じではない。
お互いの近さを感じるたびに、してはならない期待をしそうになります。
跡部の背負うものとしての立場、目指す高み、そういうものを忍足は理解しきることが出来ない。お互いのいる場所が違うということが小さな痛みになる。
跡部は跡部で、忍足の冷めたところがわからない。
それでもなんとなくでも感情の指向性がわかってしまうから、相手に寄りかかりたくなったり、受け止めてあげたくなったりします。
傷のなめあいは、本来二人とも好むところではありません。弱い自分を見せるのを嫌う人種だから。だからギリギリになるまで見せまいとします。結果、どうしようもないほど弱った自分を見せることになる。一度決壊してしまえば、あとはずるずるとおちていくだけです。
依存になってはならないから、必死で抵抗します。それでも、惹かれていく気持ちは止まってはくれない。
結局おちるところまでおちて、そこで本当に恐れていたものに直面することになります。
ふたりは、ちかい。ちかいからわかってしまう。互いにわかっていることがわかっているから、「埋めて欲しい」と願ってしまう。
けれど、近いことは同じことではない。近さを近さたらしめている違いが許せなくなって、求めてはならないものを欲しがるようになる。
それは絶対に叶ったりしない望みであることを知っているから、そのことをはっきりと自覚することになる前に、線を引くのです。
その結果、お互いに干渉しすぎず、くっつきすぎず、のめりこまない。先に述べたようなそういう微妙で危うい関係を維持していくんじゃないかと思っています。
反対に、跡部と神尾は幸せになれると思っています。
跡部と神尾は、忍足と跡部とはまた違ったところで「似て」います。
けれどこの二人はお互いが似ているという自覚はあんまりありません。お互いの違いを楽しんでいるようなふしさえあります。
ぶつかってぶつかって、すれちがってすれちがって、意地っ張りなおふたりですからそんなのは日常茶飯事です。
神尾はいつだって体当たりです。自分のレベルで相手に駆け引きを仕掛けたところで、上手くいかないだろうと思っています。そんな神尾だから、ぼろぼろ泣いて、傷ついて、辛い目にもあいます。
跡部はいつだって言葉が足りません。(神尾もまたちがった意味で言葉が足りませんが)そのくらい言わなくたって察しろよとか思っています。そんな跡部だから、いつだって神尾の幸せを思っているのに、泣かせることになっています。
この二人は、お互いをなくしてしまうことが不安です。
いつか居なくなるんじゃないだろうか、なかったことになるんじゃないだろうかと常に胸のそこで思っています。自分は自分、相手は相手と思っているが故です。
よりどころは、二人で過ごしてきた時間。なかったことになれば全て嘘になってしまうものの筈だけど、それさえも信じられないのは悲しすぎるから。嘘にしたくないという気持ち一つでぶつかっていくためのエネルギーになります。嘘になんてならないけど。
お互いが違うものだと自覚している点が、この二人の忍足と跡部との決定的な違い。
ぶつかり合いながらも互いに切磋琢磨し、相手を理解しよう、うけいれようというその気持ちが、跡部と神尾のしあわせへの原動力です。
* * * *
うわーなにこの文章。さっぱりまとまってませんね!
これは自分のなかにある忍足、跡部、神尾のうちの1ピースです。
しっかり固まる前に吐き出してる感が否めない…
実はテニスは二次創作から入ったクチなので、まずはじめにあるはずのオフィシャルからのキャラ考察がないので余計にまとまらないのです。先入観の固まり!
それになにこの…半端に夢見がちな…改めて読みかえすと恥ずかしいったらありゃしないよ!(今更)
おもっくそ趣味に走ってます。痛痛しいのとか悲恋ものとか大好きですけども何か?
バイト中キヨスミの病にかかりながら妄想していました。
注:キヨスミの病…「EVERYDAY」(歌詞うろ覚え)が頭の中を回りつづけた結果、鳥海ボイスの千石の会話を聞いてイラッとしたくなったという奇妙な現象。千石に対してときめきを覚えるというおかしな状況でした。
バイト直後のメモから
キヨスミの病(イラッとしたい)
忍跡はどうがんばっても幸せにはなれない
近すぎるが故のしてはならない期待、目指す場所、たち位置の決定てきな違い
傷のなめあい.求めてならんとこまで欲しがる近いから違う.違いが許せない
べかみはしあわせになれる
違いを違いとして楽しむ余裕がある
忍足と跡部は、どこまでいっても幸せにはなれない、とおもっています。
ふたりとも、お互いのことをすごく似ていて、とても近い存在だと感じています。周りもきっとぼんやりとですがそんな認識をしていると思います。
お互いに干渉しすぎず、べたべたくっつくことも嫌いそう。
頭の回転の速度だとかは、これまで周りにいなかったレベルで近いんでしょう。
色々近いけれど、でも決して同じではない。
お互いの近さを感じるたびに、してはならない期待をしそうになります。
跡部の背負うものとしての立場、目指す高み、そういうものを忍足は理解しきることが出来ない。お互いのいる場所が違うということが小さな痛みになる。
跡部は跡部で、忍足の冷めたところがわからない。
それでもなんとなくでも感情の指向性がわかってしまうから、相手に寄りかかりたくなったり、受け止めてあげたくなったりします。
傷のなめあいは、本来二人とも好むところではありません。弱い自分を見せるのを嫌う人種だから。だからギリギリになるまで見せまいとします。結果、どうしようもないほど弱った自分を見せることになる。一度決壊してしまえば、あとはずるずるとおちていくだけです。
依存になってはならないから、必死で抵抗します。それでも、惹かれていく気持ちは止まってはくれない。
結局おちるところまでおちて、そこで本当に恐れていたものに直面することになります。
ふたりは、ちかい。ちかいからわかってしまう。互いにわかっていることがわかっているから、「埋めて欲しい」と願ってしまう。
けれど、近いことは同じことではない。近さを近さたらしめている違いが許せなくなって、求めてはならないものを欲しがるようになる。
それは絶対に叶ったりしない望みであることを知っているから、そのことをはっきりと自覚することになる前に、線を引くのです。
その結果、お互いに干渉しすぎず、くっつきすぎず、のめりこまない。先に述べたようなそういう微妙で危うい関係を維持していくんじゃないかと思っています。
反対に、跡部と神尾は幸せになれると思っています。
跡部と神尾は、忍足と跡部とはまた違ったところで「似て」います。
けれどこの二人はお互いが似ているという自覚はあんまりありません。お互いの違いを楽しんでいるようなふしさえあります。
ぶつかってぶつかって、すれちがってすれちがって、意地っ張りなおふたりですからそんなのは日常茶飯事です。
神尾はいつだって体当たりです。自分のレベルで相手に駆け引きを仕掛けたところで、上手くいかないだろうと思っています。そんな神尾だから、ぼろぼろ泣いて、傷ついて、辛い目にもあいます。
跡部はいつだって言葉が足りません。(神尾もまたちがった意味で言葉が足りませんが)そのくらい言わなくたって察しろよとか思っています。そんな跡部だから、いつだって神尾の幸せを思っているのに、泣かせることになっています。
この二人は、お互いをなくしてしまうことが不安です。
いつか居なくなるんじゃないだろうか、なかったことになるんじゃないだろうかと常に胸のそこで思っています。自分は自分、相手は相手と思っているが故です。
よりどころは、二人で過ごしてきた時間。なかったことになれば全て嘘になってしまうものの筈だけど、それさえも信じられないのは悲しすぎるから。嘘にしたくないという気持ち一つでぶつかっていくためのエネルギーになります。嘘になんてならないけど。
お互いが違うものだと自覚している点が、この二人の忍足と跡部との決定的な違い。
ぶつかり合いながらも互いに切磋琢磨し、相手を理解しよう、うけいれようというその気持ちが、跡部と神尾のしあわせへの原動力です。
* * * *
うわーなにこの文章。さっぱりまとまってませんね!
これは自分のなかにある忍足、跡部、神尾のうちの1ピースです。
しっかり固まる前に吐き出してる感が否めない…
実はテニスは二次創作から入ったクチなので、まずはじめにあるはずのオフィシャルからのキャラ考察がないので余計にまとまらないのです。先入観の固まり!
それになにこの…半端に夢見がちな…改めて読みかえすと恥ずかしいったらありゃしないよ!(今更)
おもっくそ趣味に走ってます。痛痛しいのとか悲恋ものとか大好きですけども何か?
バイト中キヨスミの病にかかりながら妄想していました。
注:キヨスミの病…「EVERYDAY」(歌詞うろ覚え)が頭の中を回りつづけた結果、鳥海ボイスの千石の会話を聞いてイラッとしたくなったという奇妙な現象。千石に対してときめきを覚えるというおかしな状況でした。
バイト直後のメモから
キヨスミの病(イラッとしたい)
忍跡はどうがんばっても幸せにはなれない
近すぎるが故のしてはならない期待、目指す場所、たち位置の決定てきな違い
傷のなめあい.求めてならんとこまで欲しがる近いから違う.違いが許せない
べかみはしあわせになれる
違いを違いとして楽しむ余裕がある
by ktblue-black
| 2006-04-06 01:06
| 嗜好関連